主宰氏 『人は目的や目標があれば苦労を乗り越える』

筆者が歩んで来られた歴史(人生)と資格への挑戦がリアルに紹介された体験記です。


人は目的や目標があれば苦労を乗り越える
主宰氏


【はじめに】

この受験体験記は、既に多くのOM諸氏が執筆されたものとは、性格を異にするものです。
小生はお受験活動展開中に、不幸にして仕事上のトラブルから軽症鬱病を患いました。
その加療に於いて様々な内因性心理と向き合って来ました。
この受験体験記では、精神的側面からの観察を、小生のルーツから、客観的に紹介したいと思います。

【ルーツ】
1959年12月、千葉県船橋市にて生まれる。
幼稚園児の頃、お絵描きの時間にクレーンカメラの絵を書いた。
小学生高学年の頃、教室にあった真空管TVの中を覗いて興味を持った。

中学校入学当時は、まだ普通の男の子で、JFKのファンだった。
「政治家か技術者になりたい」と将来の夢を持っていた。
TV番組「俺は男だ」に感化され、剣道部に入部。授業の必修クラブで科学クラブに加入。
初めて電気の世界と出会った。
父親に頼んで、ラジオの入門書を買ってもらう。1石レスレックス・4球スーパー・スーパー
ヘテロダイン式の存在を知る。
友人に感化され、ラジオ製作の世界にのめり込んだ。ゴミ捨て場のTVの基板から部品取りした、
いわゆるジャンク品で1石ラジオを作るが、鳴らなかった。
月刊誌「初歩のラジオ」「ラジオの製作」を読み漁った。
家が経済的に苦しかったので、親に内緒で新聞配達のアルバイト。親は遊ぶ金欲しさと
決め付けて説教したが、バイト代でラジオ回路図集などを購入したら、息子の真面目さを認められた。

中学2年生の秋、無謀にも、「オームの法則」「整流回路」「ラジオ製作」だけの知識で、
初めて電話級アマチュア無線技士の国家試験をお受験。
当然、玉砕。失敗して初めて、電子回路の裾野の広さを実感。
こずかいが全て部品代に化けた。
1石レフレックスラジオ初成功、とても嬉しかったが、感度著しく悪く、屋根にアンテナを張り、
アースを取ったら、とたんに感度向上。アンテナとアースの大事さを体験。
作ったラジオで毎晩、深夜放送を聞いた。この頃から「電子技術者になるのが夢」になった。

中学3年生春、二度目の電話級アマチュア無線技士お受験で合格。オレンジ色の従免ゲット。
局免も取得。友人宅から/1で初CQはとても緊張した。自分で設計製作した3石レフレックスラジオが成功。
教室のベランダでホイップアンテナを伸ばし、アグネスチャンを聴いた。
進路指導で、機械工の父曰く「受験に失敗したらラジオ屋に勤めろ」。
電子回路を学びたい一心から工業高校電子科だけを希望。
担任教師が気の毒がる。父親の視野の狭さが小生の人生に影響する。
生真面目な性格に育てられたが故に、いじめに遭遇。
やり返せという父、喧嘩する子はうちの子じゃないという母。
ラジオ製作だけは、邪魔が入らなかった。
おもちゃ同然のCBトランシーバーで友達とCQごっこ。
無謀にも、逆L型アンテナを張って電波を飛ばす(飛ぶ訳ゃ無い)。
電源器は容量不足とハムだらけ。でも、楽しかった。
秋の文化祭、クラブで作った1球アンプやトランジスタラジオを展示してご満悦。
クラブ局コールでお空に出て嬉しかった。
文化祭終了=ラジオ製作禁止令。半田ごては冬眠に入った。

工業高校入学。電子科に学年トップ10の成績で合格、希望に満ちて入学。放送委員会に入った。
同級生に誘われテニス部に入部するが、趣味の時間が持てないので辞めた。
休眠状態の電研部に入部し直すが、物足りなかった。
一転、入学直後に現実を知る。荒れた学内。分数の計算が出来ない低学力。電気 を志す者は一握り。
大半がドロップアウト、中学校側の面子実績維持、学歴確保。思い描いていた華々しい学園生活と
は程遠い現実に幻滅し、急速にやる気を失い、1学期中旬に学年中位に成績下落。
電子科主任は「期待外れで残念」と漏らした。
夏、NHK高校生放送研修で放送技術を受講。研修は、世間の広さと自分自身の田舎モンを
認識させた。
放送用フルトラックモノラル「オープンデンスケ」を担いで街頭インタビュー実習。勢いと好奇心
だけが先走り、失敗。
再生テープを聴いて先生方に「これじゃ使いモンにならん」と評された。
帰り道、アナウンス研修の女子達が輝いて見えた。

地元のプリント基板工場でアルバイトをした。毎日、極度の眼精疲労と闘った。
「電子業界には入らない!」と悟った。バイト終了翌日、秋葉原へ直行、秋葉を歩き回って、
念願の無線機「RJX-601」を中古で購入。
電源は金が無いので自作、秋月通商にてパーツを購入。アンテナは、半波長垂直ダイポールアンテナを作り、
竹ざおに固定。出力1W。Eスポで沖縄とQSO成功、嬉しかった。

二学期、放送室に入り浸りになった。NHKの研修でショックを受け、放送委員会活性化するんだとの
一途な気持ちから、1年生有志を募って改革に乗り出した。文化祭、1年生主導でレコードコンサート
をやった。電研部も文化祭だけは主役。ローディングコイル無しの3.7MHzと7MHzの半波長
ダイポールアンテナ・50MHz5エレ八木を設置。リグは新品TR520X。
他校ハム部の面々は、垂涎の眼差し。圧巻は、一通の先生の電鍵さばき。
あっという間に、文化祭が終わった。
電信級アマチュア無線技士を受験、モールス受信で失敗し落ちた。郵便局のアルバイトをした。
近所の女子高からバイトに来たコ達と仲良しになった。バイト代は全て、無線・ラジオ・アンプ工作
に化けた。
金遣いが荒いと親は嘆いた。自分で稼いだ金で道楽してなにが悪いと言い切った。

三学期、吹奏楽部が他校と合同演奏会をやると聞き、放送委員会1年生有志で
「ドキュメンタリー番組を作ろう」と計画。
休日返上、コンサート終了まで、テレコ担いで走り回った。20分番組が完成。放送委員会活性化
への自信がついた。
この頃から、「取材・制作からオンエア、受信・再生まで一通り解かるエンジニアになりたい、
ハードもソフトも解かってやるんだ」という意気込みが生まれつつあった。

高校2年生一学期、電子科以外の勉強はそっちのけ。電研部副部長就任。
放送委員会副委員長になり、やる気のない上級生を追い出して、1・2年生だけで改革を始めた。
面白くなり始めた高校生活だった。
番組台本書き・アナウンス練習・テープ編集・アンプやチューナーの自作・アマチュア無線・女の子と文通・
星新一氏のショートショートを読み漁る・生徒会部屋に入り浸る・深夜放送に熱中・週末のバイト代は部品代
に消える、電信級アマチュア無線技士リベンジお受験に合格。電子科の授業が専門的になった。
幸福感は続かず陰湿なイジメが始まる。馬鹿正直な性格が裏目に。革命という言葉に同調。強者願望。
朝の遅刻常習犯になっていった。夏休みは、郵便局でアルバイト。
夜と休日は、放送素材で使う生録音・プリメインアンプやFMチューナーの自作・スピーカーBOXの自作・
ローカル局とのラグチュー三昧の日々。

二学期、文化祭目前、電研部2年生全員で退部。活性化しない電研部に嫌気がさした。
お前だけは残れと、引き止める顧問と部長。
クーデター決行、未練は無かった。

高校3年生一学期、放送委員長就任。電子科の勉強以外はそっちのけで放送委員会に没頭。
この頃から学校のカセットデンスケ担いで、生録音に懲り始めた。
学内は授業妨害が激しくなった。担任は生徒らに向かって「勉強したい奴の邪魔はするな」と叫んだ。

二学期、進路指導で、小生は「大手電気メーカー就職」または「放送専門学校進学」を希望。
父親曰く「どこでもいいから大企業に入れ、電気に拘るな」。
小生自身の憧れからSONYを受験。結果連絡2週間、ボーダーラインをさまよった挙句、不合格。
落胆から神経性胃炎になった。「放送専門学校進学」は、学校側から拒絶された。
結局、学校側の面子実績維持優先で地元の化学関連企業を受験、トップで合格。廻りはドロップアウトばかり。
「なんで俺だけが・・・」と思った。注力した放送委員会も、後輩が続かず頓挫した。
高校時代を通して知ったものは「夢の達成と、現実を知ることと、挫折」だった。
肝心の電子科目成績は3年間中、5段階評定の5と4で通した。もっとまじめに勉強したかった。
時代が恨めしかった。

就職1年目、地元の化学関連企業に就職。プラント工業計測保全部門に配属。
上司曰く「是非勉強して、危険物・ボイラー・電気工事士・電験三種を取ってくれ」。
家へ帰るなり疲労で寝てしまう毎日。
資格取得なんてとんでもない状態だった。
当時の工業計測機器は、空気圧式計器主流の時代で、電子式計器は稀だった。
先輩方社員は皆、叩上げの職人肌で、電気や機械の基礎知識は無かった。
勤務時代、協力会社社員死亡労災事故2回、そして自らも労働災害3回遭遇。
手と髪は年中荒れた。
真剣に職業で悩んだ。電子機器の世界に進むのが希望だった。「なんで俺だけが・・・」。
ノイローゼ寸前にまで追い込まれた。
先輩社員らとの酒の席が嫌いで付き合いを逃げ回った。
趣味が唯一の心の拠り所だった。給料の殆どが生録用機材に化けた。カセットデンスケを皮切りに、
マイク・ミキサー・サンパチ2トラ・DCアンプと揃えていった。
高校時代に成し得なかった、番組制作への気持ちが、生録マニアへと加速させた。
文化放送「生録ジョッキー」の常連になり、応募テープが入賞。高校一年の夏に経験した屈辱を自ら晴らし、
専門家から実力を認められて嬉しかった。
週末は、マムシに怯えながらデンスケ担いで地元の野山を駆け回った。

就職2年目、20才直前に現在の勤務先の前身会社に転職。逆転成功、希望が叶いとても嬉しかった。
配属先は、「電話回線に接続する端末機器」と「コンピューター用ディスプレイ」の製造検査だった。
プリント基板検査職に従事。部品や仕様を覚る勉強の毎日。この世界でご飯を食べた日々は、
同時に眼精疲労との闘いの日々だった。
好きこそ物の上手なれと人は言うが、好きな道(趣味)で生活の糧(ご飯)にすることの苦しさを、
身をもって経験した。
仕事以外ではんだごてを握ることは無くなった。アマチュア無線・アンプ製作が趣味から消えた。
生録に注力、デンスケを担いで旅をした。
独身寮の仲間と飲む酒の楽しさを知った。地元の旧友達との酒席で、性格が変わった・オタクでなくなったと、
地元の友人から言われた。
初めての彼女が出来た。仕事も私生活も全てが幸福な時代だった。

就職3年目、念願が叶った。働きながら放送専門学校(夜学)に通う。
在学中は睡眠不足の毎日。
誰にも邪魔されずに、好きな勉強ができる喜びを味わい、同時に現実の厳しさと妥協を知った。
好きな勉強、週末の趣味がたたり、彼女と別れた。趣味の生録音は徐々に消えた。職場の教育の一環で
ラジオ音響技術検定3級を受験したが、不合格。
放送専門学校卒業と同時に放送業界への憧れを捨てる。高校時代に成しえなかった希望や念願を叶え、
夢と現実を知りながら歩んできた。
業界の仕事や生活を、現状の会社勤めと比べたら、現実は厳しいから会社員の道を選んだ。悔いは無かった。
会社で新人教育用のビデオ制作を任された。このまま、工場の品質管理畑で残るのも、悪くは無いと悟った。
ようやく普通の人並みに、テニスだスキーだ彼女だと、普通の青春を謳歌できるようになった。

【実践の時代】
異例の人事だった。内示を飛び越え、いきなり本社からスカウトが来た。
『ハイビジョンの普及促進業務に就け』。
10年間の工場暮らしから本社地区へ異動、さらに親会社の本社へ逆出向、販促部隊の技術屋として
日本全国を飛び回った。
この先10年の間に、ハイビジョンから液晶プロジェクタへミッションは替わったが、仕事中心の毎日、
寝に帰るだけの生活、週1の全国出張、深夜残業、休日出勤が続いた。
直属上司の能力に失望し、「なんで俺だけ苦労するのか」と嘆きながら、トラブルシューティングと闘った。
基礎知識を大急ぎで勉強し、度胸一発、現場では知恵を絞って仕事をこなして行った。
基礎知識といっても、相手は放送仕様ハードウェアと放送仕様映像ソフトだった。映像信号は、
NTSCではなく、帯域30MHzのベースバンドHDTV。音声信号はバランス600Ω+4dBの世界。
RF信号は衛星波で、お星様の数・位置・水平垂直円偏波に悩まされた。烏避けと電波レンズの付いた
LNBを初めて見た。
1.8mΦCSアンテナを設置では、C/N比20dB確保に必死だった。
BSは、直径1.2mΦのオフセット形。同軸ケーブルは100mの7CFBで、敷設工事は肉体労働だった。
CTVとHDTVの受信システム構成を独学で覚えた。即仕事直結、必死だった。
マイクロ波の世界・伝送理論・アイソレーションとマッチング、アース電位差による感電など、
全て実戦で体に叩き込まれた。
真夏の大阪花博、雷雨の小倉競輪場、台風の中の設置調整、吹雪の夕張、極寒の網走など、気象条件
とも闘った。
スポンサー側エンジニアとして、幕張メッセで行われたTMNライブでの110インチHDTV
会場モニター設置に参加した。
中央官庁の肝いりで行われた、企業内教育ネットワークCS中継にも駆り出された。
収録現場のベースバンド信号からSNG車でのアップリンク(アップリンクという言葉を初めて知った)、
1.8mΦCSアンテナLNBから再生現場のベースバンド信号まで、広範囲の技術を知らねばならなかった。
初めて聞く専門用語に興味を持って、体力・気力・時間と闘った。メーカー側の担当者として、
自分が直接携わらない技術範囲でも、広く全体を見る目を求められた。
奇しくも学生時代に夢見た「取材・制作からオンエア、受信・再生まで一通り解かるエンジニアに
なりたい、ハードもソフトも判ってやる」という夢は、いつの間にか達成していた。
阪神大震災の頃、警察や消防防災のシステム納入に従事した。オウム真理教事件の頃、防衛庁関連の業務に
従事した。
いつの間にか、民間から官需の世界まで、大企業から中小企業まで、アミューズメントからインフラまでと、
幅広くシステム構築の世界を見ることが出来た。
技術収集で立ち寄った本屋で偶然、「工事担任者」なる資格を初めて知った。
テキストを見て、理解力はあった。寝る暇が欲しい時代に、資格取得など気にも留めなかった。

【資格取得の時代~そして現在】
40才、8年間の出向終了、親会社移籍叶わず、本籍会社700余名のリストラに生き残る。
危機感の毎日。
親会社出向時代にお世話になった課長職の一人から、「小生を後継者にしたい」というありがたいお話を頂く。
そこで、社内FA制度に懸け不遇に耐える決心をする。
そして、人のご縁にすがろうとも、別のご縁に拾われようとも、実力を証明する客観的な尺度をもった証が
必要だと考えた。
10年間、自分なりに実績を残したが、実力を裏付ける証拠が無いと気づいた。求められるのは、
広く全体を見渡せるSEだと、
考えが行き着いた。自分のルーツを振り返り、接してきたユーザー先を思い出し、自分に出来そうな
分野を考えた。
そして、消防防災通信系SEを目指そうと決めた。いつ、チャンスが到来してもいいように、素養を
身に着けている証として、
資格取得を決めた。可能な限り資格取得をしようと考えた。
「社内FAチャンスは4月」との有力情報を入手した。それで、目標を1冬で6国家資格取得にした。
再起を目指し国家資格取得活動を開始。週3日新幹線で工場へ通う生活の中、家内の協力のもと毎晩
2時間以上の勉強。
たまたま、会社の強制的な通信教育受講制度で、危険物取扱者を受講していた。そこで、危険物取扱者
から受験活動を始めた。
最初の危険物乙六以外の勉強時間は実質20日程度だった。
調査日程も、試験願書提出も勉強日数も免許申請もなにもかも、ぎりぎりのスケジュールだった。

資格取得1stステージ:消防防災通信系SEを目指すべく4月までの最低限の目標設定で全て合格。
12月 危険物取扱者乙種六類
1月 消防設備士乙種四類
2月 第二級陸上特殊無線技士・第一級陸上特殊無線技士
3月 航空特殊無線技士・危険物取扱者乙種四類

12月 危険物乙種六類:受験目的は、「消防法」に対する素養を身に付けていることの証を
取得することだった。
受験で役立ったのは、通信教育のテキスト3冊と、20年以上昔の化学工場での勤務経験だった。
化学工場勤務時代、危険物を直接扱うことは無かったが、記憶の中にはタンクや配管のイメージがありあり
と浮かんできた。
消防法も、火災を予防する観点に重点が置かれたものだと解った。
悩み抜いた化学工場勤務時代の経験が合格させてくれたと考える。この合格は、大きな自信になった。

1月 消防設備士乙種四類:受験目的は、「消防法」に対する素養を身に付けていることの
証を取得することと、
消防設備に対する素養を身に付けていることの証を取得することだった。受験で役立ったのは、人の
ご縁だった。
テキストは書店で購入した。危険物を勉強していて、たびたび消防設備士の名前 が登場した。
密接な関係があると考えた。
調べていくうちに、対象設備に応じて基礎となる分野(機械か電気か化学)があると解った。
そこで、電気と密接な関係にある乙四(警報装置系)受験を決めた。
初めて聞く感知器(センサー)や受信機(コントローラー)を、どうやって短期間のうちに覚えるか考えた。
結果、人のご縁にすがった。知人でビル管理をしている先輩数名を訪ね、消防防火設備や警報装置を、
ハイテクビルからマンションまで規模別に実物を見て回った。抑えるポイントも、教えて頂けた。
資格受験するというと、皆さん好意的に協力してくれた。合格できる自信は無かった。
人のご縁に救われて合格したようなものだった。

2月 第二級陸上特殊無線技士:消防自動車やパトカーには必ず無線が搭載されていて、取り扱うため
には第二級陸上特殊無線技士の資格が必要。
ならば、取ろうと考えた。この受験で役立ったのは、学生の頃勉強した電子工学と、アマチュア無線の
経験だった。
テキストは、電気通信振興会で発刊している講習会用教科書と過去問題集だった。
受験に際しては、楽勝だった。特に苦労した記憶はない。

第一級陸上特殊無線技士:計画当初からの大本命で、一番欲しかった資格だった。
なぜ、欲しかったかというと、ヘリテレ(ヘリコプタ搭載テレビジョンシステム)を扱うには必ず
必要だったからである。
警察・消防・防衛・民間放送など、事件や有事の際には、ヘリコプタによる追跡と同時に空撮映像が
重要な情報源となる。
このヘリコプタに搭載される画像伝送システムこそが、ヘリテレといわれるもの。
ヘリテレを扱うユーザーと、同様の資格や素養を身に付けていることの証を取得するのが、目的だった。
この受験で役立ったのは、出向時代にお世話になった先輩社員との、人のご縁だった。
電気通信振興会で発刊している講習会用教科書と過去問題集で勉強しても、導波管・周波数多重送信機・
カセグレンアンテナなどを、
20日程度の短期間で詰め込み理解するには限界を感じた。
そこで、お世話になった先輩社員に、資格受験活動をしている旨の相談をもちかけたところ、横浜に
ある工場のショールーム見学
を勧められ、案内と説明はその先輩が一肌脱いでくれた。
当日、教科書のみを持参してこじんまりとしたショールームを廻った。そこには、昭和40年代の
周波数多重送信機があった。
反射型クライストロン・導波管・同調ねじなどを、実際にこの手で触れること が出来た。
屋外には、大型のカセグレンアンテナ・グレゴリアンテナなどがあり、一次放射器とはなんぞや?
円形導波管の特徴は?など、
不安に思っていたことが全て理解できた。TWT管(進行波管)の実物を見て、教科書の上では巨大に
想像したものが、実は30cmにも満たないのには、驚いた。
百聞は一見にしかずだった。ショールーム見学自体は、正味1時間半程度だが、大変貴重な経験だった。
先輩社員に「是非、合格してくれ」と激励された。このプレッシャーは、支えになった。
電車やバスでの移動時間や待ち時間すら、勉強時間に当てた。
東京晴海の日本無線協会で試験を終えた時点で、合否はぎりぎりだと悟った。どうしても一陸特が欲しかった。
試験終了後、その足で講習会の受講手続きをした。受講料約8万円のお金は、ドブに捨てる覚悟だった。
家内の猛反対を拝み倒した。会社には2週間の休暇願いを出した。折りしもリストラの渦中、部長に
呼び出され猛反発を受けた。
資格は欲しいが今クビになるわけにはいかない。やむなく約8万円をドブに捨てた。
日本無線協会には、受講棄権を申し出た。講習会担当の先生が気の毒がってくれた。
家内には呆れられた。しばらくして、葉書が届いた。合格だった。最後の一問が合ってた。
お世話になった先輩社員にお礼の電話をした。二技・一技を目指しなさいと、叱咤激励された。

3月 航空特殊無線技士:この資格は一陸特の次に欲しかった資格だった。
無線の管制は、陸海空で独立している。
ヘリテレはヘリコプタから電波を出す。ならば、ヘリコプタで運用する無線の免許や素養も当然
必要だと考えた。
資格取得にはイカロス出版社主催の講習会受講を利用した。最大のネックは時 間と電気通信術だった。
4月までのリミットに、国家試験受験では時間的に資格取得が間に合わない。
電気通信術は、この際受講して覚えようと考えた。講習申し込みは、出版社へ手持ちで持参し、
最後の一人に滑り込みで間に合わせた。
トラブルは講習会直前に、突然やってきた。持病の腰痛が再発。講習会場へ行き着くのもやっとだった。
講習中は遅刻や離席は、即受講資格剥奪という厳しい掟がある。
長時間、椅子に座って受講すること自体が、地獄だった。航空無線特有のATCやD(デルタ)など
電気通信術は、3日間の激痛と闘いながら体で覚えた。修了試験そのものは、楽勝だった。

危険物取扱者乙種四類:危険物の中でも一番メジャーで応用性の高い資格であり、
消防法もこの資格が取り扱う「引火性液体」のために規定される部分が多く、取得は必須と考えた。
幸い、科目免除制度があり、
既に乙種六類を取得していた小生も、この恩絵に甘えた。受験に役立ったのはポケットサイズの過去
問題集だった。
資格取得1stステージ最後の受験で、試験慣れしたか気分的にも楽だった。通勤電車の往復は、
過去問でいつも勉強した。
試験問題はすらすら解けた。その日のうちに合否発表があり、予定通り合格した。
12月に乙六の試験で寒風吹きすさぶ中を通ったのも、東京幡ヶ谷の試験会場だった。
予定した全ての受験=合格が終わり、東京幡ヶ谷の試験会場の帰り道には桜が咲いていた。
4月になった。社内FA制度はクローズされてしまった。親会社移籍チャンスも、結局無かった。

資格取得2ndステージ:社内FAチャンス到来を待ち上位資格の目標設定
7月 第二級陸上無線技術士
8月 航空無線通信士
10月 第一級海上特殊無線技士
11月 工事担任者アナログ第二種
新年度になった。週3日の新幹線通いから開放された。規則正しい生活習慣、時間的余裕の
ある生活が10年ぶりに戻った。
全国出張で飛び回っていた頃には考えられなかった時間だった。10年ぶりの「花見」、初めての
「春の小旅行」も出来た。

5月 きよちゃん氏との出会い
5月になって、小西さんのサイトを知った。プロ会議室に以下の投稿をした。
『1陸技まで目指すべきか2陸技で止めるべきか?” “航空通信士や1海特等も取っておいたほうが
良いか否か?
向こう10年計画で、有線系の資格取得と最終的には気象予報士にもトライを考えてます。
目的は資格マニアにあらず、消防防災の世界で飯を食べていきたいがための確証です。
ちなみに1陸特取得理由はヘリテレで必要と言われた為です。
長い投稿になりましたが、皆さんのご意見を頂戴したくお願い申し上げます。』
この投稿に、サイト常連のきよちゃん氏が応答してくれた。ネットとメールで話し合った。
そして当面の目標を決めた。8月の二陸技、9月の航空通、10月の一海特、11月の
工担アナログニ種とした。
8月の二陸技目指して受験勉強を始めた。二陸技以外は最低限必須と考えた。

5月~7月 二陸技の受験勉強:
どこへ行くにも、参考書と過去問集を持ち歩いた。教材は、TDU出版局発刊の2陸技 1・2総通
受験教室全4巻と
電気通信振興会出版の過去問集、合格精選300題を取り揃えた。基礎から始めて工学Bまで一通り
大急ぎで参考書を読み漁った。
工業高校在学中に勉強した、電子回路の基礎や送信機受信機の基本が役に立った。バスの中、駅のベンチ、
どこでも勉強できた。
幸せだった。小西さんのサイト上で知り合いも増えた。ネット上でお互いが切磋琢磨していった。
6月末には「合格精選300題」だけを必死に勉強していた。当時の正解率は、基礎正解率23%、
工学A正解率35%、
工学B正解率23%、法規正解率57%。法規だけは明るい兆しが見えてきた。工学Aも頑張れば
なんとかなりそうに見えてきた。
通勤電車の車窓から見えるNTTのアンテナを遠くに見て、工学Bの興味を湧かせた。
自分の実力で、一発合格は無理だと最初から判っていたので、とりあえず一通りトライした。

なぜ二陸技だったか?
唯一、自らの思いで取りたい資格だった。当初、一陸特は資格こそ取ったものの、工学が合格点
すれすれだった。
理解力が足りなかった自分に納得がいかなかった。向学心に火がついた。本屋で二陸技の受験参考書と
過去問集一式を買い込んだ。
往復の通勤電車を勉強の場所にする生活が再び始まった。
自分の好きでやりたい電気の世界を、誰にも邪魔されず、楽しくマイペースで勉強できる幸せを、感じた。
工業高校電子科在学中の時代に、規制緩和された現在のような資格受験制度があったら、どんなに
良かったかと思った。

二陸技初受験結果:科目合格「工学A」「法規」 不合格「基礎」「工学B」

第1回小西会開催と美少年氏:
東京有楽町で、記念すべき初めての小西会が開催された(不肖、幹事は小生)。約10名近くの
仲間が初顔合わせした。
フェス・ツー・フェイスのコミニュケーションはとても有意義だった。受験活動で、共に苦労を
分かり合える仲間の存在は、とても大きいと思った。
この席上、小生のお受験活動を進める上でとても大切な皆さんと知り合えた。現在も、分け隔て無く
お付き合い頂いてる。
同じ時期、美少年氏とのコンタクトがあった。現在でも美少年氏とは苦楽を共に分ち合える仲間である。

7月~8月 航空通の受験勉強:
7月、朝の通勤電車内で航空通「英語」のヒアリング練習を始めた。教材は、電気通信振興会から
出版されている英会話テープ、工学、電波法規、英語、過去問の4点セットだけだった。なかでも、
英語だけは真面目に勉強しても、合格点を越える自信が無かった。
だから、必死にヒアリング練習をした。工学は、ATC、ILSやローカライザ等航空特有の分野を
注力して勉強した。
航空無線工学での基礎の基礎は、航空特殊無線技士講習会受講で判っていた。
残る大半の工学と法規は二陸技受験勉強の延長戦でなんとかなるだろうと考えていた。
電気通信術は、航空特殊無線技士取得による科目免除の御恵にすがった。

なぜ、航空通だったか?
ヘリテレ運用を考えた時、装置を扱うには一陸特や二陸技の守備範囲だが、通信となると一陸特や
二陸技の世界では無いのではないか? と考えた。
そこで、きよちゃん氏と相談し、実務レベルでの観点から航空通の必要性にたどり着いた。
「ならば、資格を取ってしまえ」と考えた。実際の話、航空通の資格は、パイロット、管制官や
空港業務従事者以外に、あまり実用用途の無い資格だが、消防防災SIerとしての素養という
観点から、受験に至った。

航空通初受験結果:科目合格「工学」「英語」(電気通信術は免除) 不合格
「法規」法規1問5点不足。英語がダメだったら諦める気持ちでいたのが、引き返せなくなった。

9月~10月 一海特の受験勉強:
航空通の受験が終ってすぐに、一海特の勉強に移った。重点を置いたのは、英語とレーダー関連だった。
教材は、電気通信振興会出版の工学、法規、英語、英会話テープだけだった。
英語は、航空通の勉強の流れをそのまま引用して臨んだ。再び、毎朝の通勤電車内が勉強の場になった。
航空通の英語に比べて、難易度は低いと感じた。
法規は、航空通受験時の失敗を教訓にし、再度注力して勉強に臨んだ。
工学は一陸特、航空特、二陸技や航空通で学んだレーダー関連を振返りながら勉強した。
電気通信術は、航空特講習会受講の際に入手した和文と欧文のテキストと練習テープを使用して、
毎晩家内の協力を得て練習した。今受験期をもって和文の送話受話が無くなることを知っていたが、
百も承知で受験した。
一番の敵は、スランプだった。スランプを乗り越えられたのは、美少年氏の叱咤激励だった。

なぜ、一海特だったか?
消防防災におけるテリトリーには、車両、航空機と船舶が含まれる。海の警察においては、
海上保安庁だが、海の消防においては消防庁のテリトリーになる。もっとも、消防艇を有する
自治体には限りがあるが。大型船舶、貨客船や外洋船舶に乗ることは無い。
だから、一海特で充分だと判断した。一海特以上の資格が必要ならば、必要になった時に
科目免除制度をフル活用して受け直せばいい。

一海特受験結果:合格

10月~11月 工事担任者アナログ二種の受験勉強:
一海特の受験が終ってすぐに、工事担任者アナログ二種(以下アナ二と略)の勉強に移った。
教材は、リックテレコム社のアナログ二種実践問題集だけだった。重点配備は、特に設けなかった。
但し、小生の場合は法規がネックになると最初から予想されていた。工担特有の「Aのみ・Bのみ等」
には当初から難航した。
基礎では論理回路に難航した。初めての有線系資格お受験で戸惑いを感じてた小生を助けてくれたのは、
下村さんの叱咤激励だった。

なせ、アナ二だったか?
消防防災における通信では、圧倒的に有線119番による進化の歴史が多大な貢献をしている。
端末機器やPBXなどは、設備を理解するのに必須の機器であり、トラヒック理論は回線容量を
考察するのに必須の基本中の基本と考えた。
小生は比較的アナログ回路や伝送理論が得意であり、デジタル設備や論理回路が苦手だった。
そこで将来、一伝交を目指すことを念頭に入れて科目免除制度の有効になる最低限の資格として、
アナ二を選んだ。
神戸の西川さんにも相談したが、やはり同様の回答を得た。

アナ二受験結果:科目合格「基礎」「技術」 不合格「法規」
法規は1問5点不足にて不合格

お受験活動最初の年は7資格合格取得、3資格科目合格次年へ持ち越しという結果に終った。

1月、第2回小西会を開催。不肖幹事は小生。皆二日酔いになるまで飲んだ飲んだ。

資格取得3thステージ:2年目突入、取りこぼした上位資格を合格取得術すべく活動を展開した。
1月 第二級陸上無線技術士
2月 航空無線通信士
5月 工事担任者アナログ第二種
7月 第一級陸上無線技術士
第二級陸上無線技術士

12月~1月 第二級陸上無線技術士と第一級陸上無線技術士のお受験勉強:
工事担任者受験終了から1週間の休みを入れて二陸技の受験勉強に入った。これまた、
朝夜の通勤電車内が勉強の場所になった。
二陸技受験科目は「基礎」と「工学B」だけになったので、気分的に楽だった。教材は主に
「合格精選300題」が中心となった。
美少年氏から「基礎」を侮るなかれとの忠告を受ける。
初めて一陸技の聖域に足を踏み入れた。自分の実力を試してみようと思っただけだった。

二陸技受験結果:科目合格「工学B」 不合格「基礎」

1月~2月 航空通の受験勉強:
二陸技&一陸技の受験終了後、直ちに勉強に入った。航空通の受験科目は「法規」だけになったので、
気分は「楽勝」
「プレッシャー」の半々だった。
前回の受験では、法規を甘く見たが故に墓穴を掘り、1問5点不足不合格に泣いた苦い経験がある。
美少年氏から当時「過去問を何回も繰り返し繰り返し勉強しましょう」とアドバイスを受けた。
電話級アマチュア無線技士の勉強以来、真面目に法規を勉強した。試験会場でも、試験前に余裕
で一服出来た。

航空通受験結果:合格

3月~5月 工事担任者アナログ二種受験勉強:

前回の受験では、これもあれほどマークしていながら法規で1問数点不足不合格に泣いた経験がある。
時間はたっぷりあった。テキストで法規と過去問を繰り返し勉強した。下村さんからはいつものように、
叱咤激励を受けた。

アナ二受験結果:合格

6月 夫婦で遠野へ旅行。仕事のストレスから解放。久々のリフレッシュ。住宅取得計画の開始。
趣味のエレクトーン教室通いを辞めた。

5月~7月 第二級無線技術士受験勉強:
唯一残った科目「基礎」に注力した。工業高校時代の電気基礎教科書と電験三種の「理論」テキスト
を教材に加え、毎日の通勤電車の中で立ったまま計算問題を解いた。B6版の小さなメモ帳を
使って計算を続けた。工業高校時代に、電磁気やら交流回路をもっと基礎を勉強すべきだったと
反省しきり。三角関数やベクトルの計算力が不足してるのに気付き、家に帰っては高校数学を勉強し直した。

二陸技受験結果:合格 これで当初計画した資格の殆どを取得した。

【おわりに】
9月、突然の不幸、父が他界した。葬儀準備で大忙しの最中に、二陸技の従事者免許証が届いた。
「免許日は父の命日」になっていた。遺影の前に置いて報告した。資格受験活動は一旦休息にした。
翌年1月 気分を新たに一陸技を受験したが不合格。
2月 仕事先で部署異動になり勉強時間が減った。
4月 待ちに待った社内FA制度解禁になったが、消防防災職種なく先送り。仕事が繁忙を極める
8月 軽症うつ病発症 病気加療最優先の生活 資格お受験活動の休止。
以降、病気治療最優先の生活。社内FAの人脈も断たれた。資格の前に年齢制限が立ちはだかった。
そして、現在に至る


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